国際スピリチュアリズム協会

IIS(アイイス)こと国際スピリチュアリズム協会(International Institute for Spiritualism)は、主に英国で育まれたスピリチュアリズムを日本に紹介し、
スピリチュアリズムに対する日本人の関心を高めるために、2000年9月に発足しました。
 
アイイスはその後、日本の事情に合った形を目指し、また、東洋の哲学や
宗教的価値観も取り入れて活動を展開しています。2007年に合同会社として法人化し、
光の探求および普及のために誠心誠意込めて尽くし前進しています。

アイイスは、日本をはじめ世界各地で光の奉仕人の仲間を探し、
多くの人にスピリチュアリズムを体験し学んでもらう機会を提供しています。
それらを通して多くの方が霊性を開花向上させることをお手伝いする一方で、
人の歩むべき道標となることを目指し、
世界へスピリチュアリズムの光を放つ組織となることを目指しています。

近代スピリチュアリズム


スピリチュアリズム(心霊主義)とは、特にミディアム(霊媒)を通して、死んだ人の魂が生きている人と通信することが可能であるという信念、または、魂が物質とは別に存在するとか、あるいは霊が唯一の存在であるという主義をいいます。

英国で近代スピリチュアリズムが広がったとき、賛同者の中にはさまざまな学者や文化人、知識人達が大勢いました。彼らの宗教観はさまざまだったので、上記の定義は妥協点であり、皆が同意する最低の線の定義であると考えられます。逆に言えば、この定義にさえ賛同すれば、誰でも自分のことをスピリチュアリストと呼ぶことができます。

 

スピリチュアリズムの哲学は、英国のスピリチュアリズムの先駆者の1人であるエマ・ハーディング・ブリテンを通じてスピリットから直接授かった、「スピリチュアリズム7つの信条」を中心としています。この信条はあくまでも原則であり、戒めではありません。

スピリチュアリズムの運動に参加していても、自分のことをスピリチュアリストと呼ぶ必要はありません。基本的に「スピリチュアリズム7つの信条」を認めさえすれば、誰でも宗教の違いを超えて、自由にこの運動に参加することができます。この運動の中には、お互いの異なる宗教観や修行の方法などを尊重し合うという基本的なルールも含まれています。



スピリチュアリズム7つの信条

1  神は親です
2  人類は皆同胞です
3  霊との交わりと指導霊の参与を認めます
4  人の魂は死後も存続します
5  個人に責任があります
6  カルマの掟を認めます
7  永遠に進歩する機会が、すべての人に与えられています



The Seven Principles of Spiritualism

1  The Fatherhood of God.
2  The Brotherhood of Man.
3  The Communion of Spirits and the Ministry of Angels.
4  The Continuous Existence of the Human Soul.
5  Personal Responsibility.
6  Compensation and Retribution Hereafter for all the Good and Evil Deeds done on Earth.
7  Eternal Progress Open to every Human Soul.



近年、日本だけでなく世界中で多くの人に受け入れられている輪廻転生と過去世の存在というアイデア、そして、魂は宇宙の創造主の元から出発して同じ場所に還るというアイデアを取り入れ、また、昔からスピリチュアリズムの中で受け入れられてきた「天使の参与」より、むしろ「指導霊の参与」を重視して運動を展開しています。
(現在でも、イギリスには輪廻転生と過去世のアイデアを認めないスピリチュアリストは大勢います)

 


近代スピリチュアリズムの歴史


スピリチュアリズムの歴史は、この宇宙の誕生と同時に始まっていると言っても過言ではありません。なぜなら、霊界は神の意識の表現であり、宇宙の誕生と同時に存在し始めているからです。
人類の歴史を紐解いてみると、霊的なものに敏感で、霊や神を恐れ、かつ崇拝してきた人々が太古の時代から大勢います。聖人、予言者、隠遁者、仙人と呼ばれた人達。祭司、牧師、僧侶、尼僧、巫女。魔女、呪術者と呼ばれた人達や天才、狂人のたぐいまで含めるとリストは膨大なものになります。

しかし、近代スピリチュアリズムの誕生が1848年3月31日とされているのには理由があります。

1847年12月11日、アメリカ・ニューヨーク州のハイズヴィルという片田舎の一軒家に、ジョンとマーガレットのフォックス夫妻とキャサリン(ケイト)とマーガレッタ(マギー)という名の二人の娘が住みはじめます。この家には2つの応接間、食料庫、寝室、そして地下室がありました。

一家が引っ越してくる前から、この家では不思議な音がしたり、幽霊が現れるとの噂がありました。一家が住み始めると、やがてポルターガイスト現象が起こり出します。コンコンと壁をたたくような音と家具が動くような音がしたので子供達は怖がり、両親と同じベッドで寝ることもありました。一家は音の原因を必死に探しましたが、見つかりませんでした。


ある時ラップ音がドア付近でするので、夫妻はドアを内側と外側から見張っていましたが、その音は二人の中間から聞こえてきました。音はだんだん強くなる一方だったので、お祓いや除霊など、いろいろ手を尽くしてみましたが、何をやってもその音は静かになりません。夫人は自分達の家には自縛霊がいるのだと、徐々にあきらめ始めていました。


1848年3月31日、疲労困憊していた一家は、早めに寝ることにしました。すると、まもなくポルターガイストが起こりました。娘のケイトが冗談半分で「幽霊さん、私と同じように指を鳴らしてごらん」と言って指を鳴らすと、同じ回数だけラップ音が鳴りました。ケイトとマギーはその後もいろいろ指で音をならす仕草をし、時には失敗して音が出ないこともあったのですが、それでも正確に同じ数のラップ音が返ってきました。それで、この幽霊が聞こえるだけではなく、見ることもできることがわかりました。


次に夫人が自分の子供たちの年齢について聞いてみました。すると幽霊は見事に全て子供たちの年齢を当てた後、少し間を置いて、最後に3歳になる子供がいるという意味のラップ音を3回鳴らしたのです。夫人はそこで、自分が3年前に亡くした子供のことを思い出します。さらに色々な質問をしたところ、幽霊が自分以上に自分のことを知っていることに驚きます。

夜の7時半頃になり、夫人は近所のレッドフィールド夫人を呼びに行きます。レッドフィールド夫人は子供たちが恐怖で青ざめ、ほとんど言葉を失っているのを見て驚き、何か想像以上に深刻なことが起きているのだと思いました。そして、レッドフィールド夫人が幽霊に質問したところ、やはり正確な答えが返ってきたので驚き、さらに自分の夫にも電話して質問させ、その答えの信憑性を確認しました。

当時ケイトは7歳、マギーは10歳でした(諸説あり)。その年齢の子供たちであれば、若々しい活動的なエネルギーによって自らが物理的なエネルギー現象を引き起こす事は決して珍しくありません。けれど、このフォックス家の現象はそういった通常のポルターガイストとは異なり、知的なエネルギーが関与していたのです。実際、質問によってそのラップ音の持ち主が "霊 "であることを認めました。ですから、この場合のポルターガイスト活動は完全に予測不可能で制御不能だったのです。

その夜、近所の人達がさらに大勢集まって幽霊に夜通し質問をし続けました。それによって、このポルターガイストを起こしていたのは5年前に殺された行商人のチャールズ・B・ロスマという人物で、彼には奥さんと2人の息子、3人の娘がいたこと、そして、この家に前に住んでいた人にお金のために殺され、彼の死体が地下に埋められていること等が判明します。彼が殺されたのは火曜日の深夜12時で、この家の東の寝室に泊まっているときに肉切り包丁でのどを切られたと訴えました。

後になって判明したことによると、フォックス夫妻の前の借主はウィークマン夫妻で、騒音が原因で建物を明け渡していました。その前にはベルという夫婦が住んでいて、彼らの家政婦とした働いていたルクレティア・パルバーの証言では、チャールズ・ロスマがこの家に立ち寄ったことがあるのを覚えていて、黒のコートとグレイのズボンをはいていたそうです。ロスマがこの家に泊まった夜に彼女は暇を出され、3日後に戻ったときには彼の姿はなかったそうです。ベル夫妻が殺人罪で起訴されることはなく、その後もこの家では同じような出で立ちの幽霊が近所の夫人によって確認されていました。

ハイズヴィル事件の後に地下室の捜査が行われましたが、一部の骨と髪の毛しか発見されず、裏付けが十分でないために事件の信憑性が疑われました。しかし、1904年11月22日に地下室の壁の下から男の遺体が発見され、ポルターガイストが語った事件を裏付ける結果となりました。

ハイズヴィル事件の後も、この家を離れて暮らすフォックス家の姉妹たちにラップ音がついてまわりました。そして、霊からの最も重要なメッセージを得たのです。

「親愛なる友人たちよ、あなたたちはこの真実を世界に宣言しなければならない。これは新しい時代の幕開けなのだ。これ以上隠そうとしていてはいけない。あなたが自分の義務を果たすとき、神と善良な霊たちがあなたを見守るだろう」。

やがて、同じようなラップ現象が多くの人に起こるようになり、姉妹はミディアムとして活躍するようになります。スピリチュアリズムの論議はニューヨーク州だけではなくアメリカ全土に広がり、やがて、各地で集会や降霊会が催されるようになりました。その運動はヨーロッパに飛び火して、特にイギリス、フランス、イタリアなどで、盛んに研究が始められるようになります。

また、クエーカー教徒のイサック・ポストと言う人が霊界通信にアルファベットを使用したらどうかというアイデアを持ち込み、このやり方で徐々に言葉と文章が綴れられ、長くて十分に意味の通じる霊界からの通信文を受け取れるようになりました。その発見がさらに大きな希望と発展につながっていったのです。

エマ・ハーディング・ブリテンはアメリカとイギリスに於いて精力的な講演活動や出版、スピリチュアリスト・チャーチの創設など、大きくスピリチュアリズムの普及に貢献した一人です。また、スコットランド出身のミディアム、ダニエル・ダングラス・ホームは初期の物理霊媒として並外れた能力を持ち、彼のデモンストレーション、セアンス(降霊術)やトランスを見た人も桁外れに多く、研究者の調査にも快く応じ、霊界の道具として自らの一生を捧げました。

当時、スピリチュアリズムに興味を持った人達の中には、文化人、知識人、学者などが多かったため、スピリチュアリズムは急速に体系化、組織化されます。特に物理霊媒に関する実験が多かったのですが、数々の実験と報告と出版が続けられました。キリスト教徒の中には死者の魂を呼び起こすのは悪魔の仕業であるという考え方が強かったため、先駆者達には多くの偏見と困難が待ち受けていました。当時、イギリスなどは魔女法という法律があったために、降霊会は極秘に行なわれていた場合も多かったと記録されています。

このように、さまざまな噂や批判や中傷が飛び交う中、通信手段の発達とともに心霊に関する情報と興味は世界中に浸透していきます。1960年代になると、自由と解放を求めるヒッピーの運動とともに、特に東洋の宗教に関する新しい興味が生まれてニューエイジの運動へと発展します。現在は、さまざまな霊的、宗教的価値観とイデオロギーなどの情報が交錯する時代となっています。その結果、どの情報を信じてよいかわからないという状況が生まれていて、真実を探すのが難しく、混乱の波に飲み込まれてさまよう人々が後を絶ちません。昔の宗教もそうでしたが、まだ、完全な宗教、真実は、この世に現れていないと考えるべきでしょう。

フォックス姉妹

マーガレッタ(1833〜1893)
 キャサリン(1837〜1892)

エマハーディングブリテン

(1823~1899)

ダニエル・ダングラス・ホーム

(1833~1886)

アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス

(1826~1910)

コーラ・スコット

(1840~1923)

ネッティ・コルバーン

(1841~1892)

ロバート・ジェイムズ・リー

(1849~1931)

フローレンス・クック

(1856~1904)

アーサー・コナン・ドイル

(1859~1930)

ウィリアム・スティントン・モーゼス

(1839~1892)

フレデリック・マイヤーズ

(1843~1901)

レオノーラ・パイパー

(1859~1950)

オリバー・ロッジ

(1851~1940)

グラディス・オズボーン・レナード

(1882~1968)

ハリー・エドワーズ

(1893~1976)

ヘレン・ダンカン

(1897~1956)

アーサー・フィンドレイ

(1883~1964)

エステル・ロバーツ

(1889~1970)

モーリス・バーバネル

(1902~1981)

コラル・ポルジ

(1924~2001)